Tanabata2023 演奏曲解説

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Bourbon Street Parade(バーボンストリートパレード)

バーボンストリートパレードは、1949年にドラマーのポールバーバリンによって作曲され、現在でも人気のジャズスタンダード曲です。
初期のマーチングバンドがニューオーリンズのジャズにどのように影響したかを示すような曲の構成となっています。

Over the waves(波濤を越えて)

原曲は、1884年メキシコの作曲家フベンティーノ・ローサス作曲のワルツです。
アメリカ合衆国ではサーカスの空中ブランコの定番の音楽になっており、カントリーやジャズでも演奏されています。
本日はイントロで本来のワルツ部分、途中からデキシーランドジャズスタイルでお送りいたします。

Putting on the Ritz(プッティング・オン・ザ・リッツ)

1927年にアメリカの作曲家アーヴィン・バーリンによって作曲されたジャズの名曲です。1930年に公開された同名のミュージカル映画の主題歌として使用されました。
「The Ritz」は、あの名門ホテル「ザ・リッツ」のことを指します。「Put on the Ritz」とは、「とびきりのお洒落をする」という意味になります。つまり、この曲は「お洒落して、素敵な場所に出かけて楽しもう!」という内容です。

Piano Concerto No.2 C minor Op.18 Sergei Rachmaninov (ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18 ラフマニノフ)

ロシアの作曲家セルゲイ・ラフマニノフが作曲した2番目のピアノ協奏曲です。作曲時期は、1900年秋から1901年4月です。
この曲は、その屈指の美しさによって、協奏曲作家としての名声を打ち立てたラフマニノフの出世作であり、発表以来、あらゆる時代を通じて常に最も人気のあるピアノ協奏曲のひとつであり、ロシアのロマン派音楽を代表する曲の一つに数えられています。
今回は第一楽章をジャズアレンジしてお送りいたします。

—Tanabata2023 Theme Centennial—
Centennial(センチュニアル:100周年)
最初のジャズのレコードが発売されたのが1917年。
その後、続々とジャズの名曲が発表されました。
今回はコロナの流行が始まった2020年から2025年までに100周年を迎える曲を集めました。

In a Persian Market(ペルシャの市場にて) 1920年

1920年 イギリスの作曲家アルバート・ケテルビーが作曲した合唱付きの管弦楽曲です。
かつては小学校3年の音楽科鑑賞教材でしたが、今は削除されました。「ペルシャ」という特定の国は存在しないというのが理由だったようです。ペルシャとはヨーロッパ側の呼び方で現在のイランのことです。

Limehouse Blues(ライムハウス・ブルース) 1921年

ロンドンを拠点とするデュオ、ダグラスファーバー(作詞)とフィリップ・ブラハム(作曲)によって書かれた人気のあるイギリスの歌で1921年に発表されました。この曲は、第一次世界大戦前にロンドンのライムハウスというチャイナタウンを舞台にした悲しい恋の物語で、歌詞とメロディーの両方に中国が登場します。
この曲の特徴は、軽快でキャッチーなメロディと、変拍子や転調が多用された複雑な構成です。ジャズギターのコードメロディのレッスンにもよく使われる曲です。

That Da-Da Strain(ザット・ダーダー・ストレイン) 1922年

1922年にマミー・メディナとエドガー・ダウエルによって作詞作曲され、2つのミュージカル「Up and Down」と「Oh Joy」で使用されました。
「da-da strain」とは、音楽用語で、リズムやメロディーのパターンを指します。歌詞は、「新しい「Da-Da Strain」(という音楽)が人々を狂わせ、踊らせる」と描いています。この曲は、当時の人々にとって非常に魅力的で、踊りやすく、楽しいものでした。

Tin Roof Blues(ティン・ルーフ・ブルース) 1923年

ニューオーリンズ・リズム・キングスというバンドが録音したジャズの名曲です。作曲者はバンドのメンバーであるポール・マレス、ベン・ポラック、メル・スティッツェル、ジョージ・ブルニーズ、レオン・ロッポロの5人です。この曲はジャズのスタンダード・ナンバーとなり、ニューオーリンズ・ジャズの代表曲のひとつとして多くのミュージシャンによって演奏されてきました。
この曲のタイトル「Tin Roof」は、ニューオーリンズのダンスホール「ティン・ルーフ・カフェ」をイメージしているそうです。

Everybody Loves My Baby 1924年

スペンサー・ウィリアムズによって作曲されたジャズのスタンダード曲です。歌詞はジャック・パルマーによって書かれ、「Everybody Loves My Baby, but My Baby Don’t Love Nobody but Me」という長い曲名としても知られています。若きルイ・アームストロング(当時23歳)がクラレンス・ウィリアムズのブルー・ファイブと共に1924年11月6日にニューヨークで録音のが最初で、その時の曲名が「Everybody Loves My Baby (but My Baby Don’t Love Nobody But Me)」でした。

New Orleans Shuffle(ニューオーリンズ・シャッフル) 1925年

ビル・ホイットモアにより作曲され、The Halfway House Dance Orchestra(アルバート・ブルニーズの指揮)により、1925年9月25日にニューオーリンズで録音されました。
New Orleans Shuffleの「Shuffle」とは跳ねるつまり、ジャズ用語のSwingと似たような言葉です。

High Society

マルチストレイン形式の旋律の曲で、もとは1901年4月にポーター・スティールが作曲し、著作権を持つ行進曲であり、トラディショナル・ジャズのスタンダードとなった曲です。
行進曲でよく聞くピッコロのオブリガートはアルフォンス・ピクーがピッコロ・パートをクラリネットの変奏に移し替えたのが最初だそうです。本日はダッチ・スイング・カレッジ・バンド風にクラリネットとソプラノサックスのデュオでおおくりします。