プログラム
ご挨拶
本日は TANABATA2026 Dixie Queens Jazz Live にお越しいただき、ありがとうございます。今回は2つのテーマでデキシーランドジャズをお楽しみいただきたいと思います。
一つ目のテーマは、ちょうど100年前の1926年をテーマとしました。
もう一つテーマは、1910年代から半世紀、アメリカで活躍した作曲家アーヴィング・バーリンです。
一つ目のテーマは、ちょうど100年前の1926年をテーマとしました。
もう一つテーマは、1910年代から半世紀、アメリカで活躍した作曲家アーヴィング・バーリンです。
テーマ I:1926年 ― 狂騒の20年代とジャズの覚醒
今年 2026 年は昭和 100 周年にあたります。昭和元年を振り返ると、その年は 1926 年。ちょうどその頃、ジャズの本場アメリカは禁酒法時代の真っただ中にありました。禁酒法で酒の販売が禁止されたところで飲まずにはいられない。結局、違法な地下酒場が急増することになります。その地下酒場で最も人気のあった音楽がジャズでした。
地下の酒場では毎晩ジャズが鳴り響き、この時期ジャズが大きく発展しました。また、同じ時期、ラジオやレコードの普及が進んだこともあり、クラブで演奏し、ラジオに出演し、レコードを販売するという活動スタイルも確立され、広く一般にもジャズ人気を得ることになったのです。
本日のテーマ I では、そんな時代、特に 1926 年にゆかりのある曲を取り上げました。当時の空気なども感じていただければと思います。
地下の酒場では毎晩ジャズが鳴り響き、この時期ジャズが大きく発展しました。また、同じ時期、ラジオやレコードの普及が進んだこともあり、クラブで演奏し、ラジオに出演し、レコードを販売するという活動スタイルも確立され、広く一般にもジャズ人気を得ることになったのです。
本日のテーマ I では、そんな時代、特に 1926 年にゆかりのある曲を取り上げました。当時の空気なども感じていただければと思います。
★シカゴ・スタイルの確立と「サッチモ」の衝撃
1926年は、ジャズが「集団演奏」から「個人の即興(ソロ)」へ大きく舵を切った年です。その中心にいたのが、若き日のサッチモ(ルイ・アームストロング)でした。
- Muskrat Ramble(ジャコウネズミの散歩)
サッチモ率いる「ホット・ファイブ」によるジャズ史上最も重要な曲の一つ。同メンバーであるキッド・オリー作曲の軽快なナンバーを、サッチモの快活なトランペットが不朽のスタンダードへと押し上げました。 - I’ve Found a New Baby
シカゴ・スタイルの定番曲。ベニー・グッドマンら白人ミュージシャンもこぞって演奏し、人種の垣根を超えてスウィングの雛形が形作られていきました。 - Big Butter and Egg Man
Butter and Egg Manとは、当時のスラングで“西部や中西部などから来た成金で、都市に来ては気前よくお金を使う男性”のことを言ったそうで、そんな人をつかまえて遊んで暮らしたい・・・という歌詞になっています。世の男性にはあまり笑えない話ですが、そんな女心をコミカルに歌った曲です。 - Skid-Dat-De-Dat
サッチモの叙情的な一面が際立つ一曲。ゆったりとしたフレーズの中で、楽器がまるで言葉を語るように響き、彼の音楽性の奥行きを感じさせます。この曲では、サッチモが後に代名詞となる「スキャット」を初めて本格的に取り入れ、ジャズ・ヴォーカルの新しい表現を切り開きました。 - Cornet Chop Suey
サッチモ自身が作曲した、ソロ・ジャズを象徴する名曲。緻密に組み立てられたソロは、当時のトランペッターたちに大きな衝撃を与え、その後のジャズの語法そのものを塗り替えるほどの革新性を持っていました。タイトルの「チャプスーイ」は、当時アメリカで人気だった料理の名前です。
★ジェリー・ロール・モートンと「完璧なアンサンブル」
ソロの自由を追求したサッチモに対し、自称「ジャズの創始者」モートンは、緻密な編曲によってジャズを芸術の域に高めようとしました。
- Grandpa’s Spells(おじいちゃんの呪文)
ピアノとバンドが完全に一体となり、目まぐるしく展開しながらも隅々まで緻密にコントロールされたアンサンブルが魅力の一曲。モートンの理論的な構築力と、内に秘めた情熱が見事に凝縮されています。 - The Crave(渇望)
モートンが自身の音楽的ルーツであるスペインやフランスの影響を、「スパニッシュ・ティンジ(スペインの彩り)」として 独自の表現へと磨き上げた 一曲。優雅さの中にほのかな物悲しさが漂い、情緒豊かなナンバーとして知られています。1998年のイタリア映画『海の上のピアニスト』にも登場し、激しいダンス・ジャズとは異なる、アメリカ南部の気品と憂いを感じさせる独特の世界観が魅力です。 - Black Bottom Stomp
彼のバンド「Red Hot Peppers」による最高傑作。当時流行のダンスをテーマに、「ストップ・タイム」を巧みに取り入れた構成は、後のビッグバンド・ジャズのスタイルを先取りしていました。
★ヴォードヴィルからスタンダードへ
100 年経った今も愛され続ける「歌もの」の名曲が、この年に一気に花開きました。
- Some of These Days(いつかまた)
1910年に生まれた曲ですが、1926年にソフィ・タッカーが再録音したことで爆発的なヒットとなりました。その後は日本でも江利チエミらが愛唱し、日米をつなぐジャズの象徴として長く親しまれてきた名曲です。 - Baby Face
陽気でキャッチーなメロディが、好景気で活気づく時代の空気と響き合い、全米で一気に広まりました。昭和の日本でも弘田三枝子やザ・ピーナッツらがカバーし、お茶の間を明るく沸かせた、時代を超えて愛されるナンバーです。 - Sunday
1926年当時ジャック・デニー楽団などがダンス・ナンバーとして演奏し、大ヒット。その後、多くのジャズマンがリラックスしたテンポで演奏する定番となり、穏やかな休日のデートを思わせるスタンダードとして親しまれるようになりました。 - Blizzard Head Blues
ブルースの女王、シッピー・ウォーレスの歌唱で知られる本作ですが、本日は演奏のみでお届けします。当時のジャズ奏者にとってブルースは、「歌の伴奏」であると同時に、楽器を限界まで「歌わせる」ための究極の素材でもありました。 - I Can’t Believe That You’re In Love With Me(君に恋して)
1926年に発表。ジャズが「踊るための音楽」から「感情を語るバラード」へと進化する可能性を示しました。後にビリー・ホリデイら多くのジャズ・ジャイアンツがカバーすることになる、ロマンティックなスタンダードの原点です。
テーマ II:アーヴィング・バーリン ― エレガンスへの招待
二つ目のテーマは、God Bress AmericaやWhite Christmasの作曲者としても知られる、アーヴィング・バーリンです。バーリンは、二度の大戦をまたぐ半世紀にわたる音楽活動の中で膨大な量の曲を作詞・作曲しています。
- Steppin’ Out with My Baby(1948年)
アステアと再びタッグを組んだ1948年の映画『イースター・パレード』で使われた一曲です。第二次世界大戦の影がようやく消え、平和と豊かさが戻ったアメリカを象徴する極上のスウィング・ナンバーとして知られています。タイトルの “Steppin’ Out” には、ただ外出するだけでなく、「おめかしして、うきうきして街へ繰り出す」という喜びが込められています。バーリンが書いたこの流麗なメロディは、愛する人と歩む一歩一歩が、まるで人生のランウェイになるような、胸が弾む高揚感を今も私たちに与えてくれます。 - Alexander’s Ragtime Band(1911年)
バーリンが初めて世界を驚かせた、彼の出世作。まだ「ジャズ」という言葉が一般的になる前、当時の若者を熱狂させたラグタイムを取り入れ、全米に爆発的なダンスブームを巻き起こしました。後には日本の「三人娘」(美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ)もスウィング感たっぷりに競演し、日本で最も親しまれたバーリン・ナンバーの一つとなりました。 - Puttin’ on the Ritz (1927年)
1946年公開のフレッド・アステア主演映画『ブルー・スカイ』の挿入曲です。劇中でダンサーのアステアが、トップハットにタキシード、ステッキ姿で粋に歌い出す曲で、後半は9人のアステアが超絶タップダンスを踊ります。そんな曲をタップダンスは除いて再現してみたいと思います。 - High Society(1923年)
1901年に Porter Steele が行進曲として作曲し、後に Robert Recker がピッコロのオブリガートを追加しました。ニューオーリンズのクラリネット奏者 Alphonse Picou は、このピッコロ・オブリガートをクラリネット用に編曲し、これが“ジャズ史上最初期の書かれたソロ”として伝説的な存在になりました。このフレーズは 1923年、King Oliver’s Creole Jazz Band によって初めてジャズ録音され、デキシーランドの象徴的なクラリネット・ソロとして現在まで受け継がれています。

